着物(きもの)専門店「きもの好きどっと込む」のホームページです
|
       |
     |
|
|
|
 |
伊達衿(おしゃれ衿)
伊達衿の名前の由来は定かではありませんが、「たてたてしき(=華やかであるという意味)」という言葉が変化して「だて」となったのではないかと言われているそうです。昭和初期頃までは、きものは二枚重ねで着るのが当たり前でした。
しかし、それは着るのに大変めんどうなものでしたし、ごわついて太って見えました。
そこで戦後に登場したのが「比翼仕立て」という仕立て方でした。衿と裾だけをあらかじめ二枚仕立てにしておくというものです。一枚のきものを、二枚重ね着しているように見せることから「嘘つき仕立て」とも呼ばれています。それ以降、二枚重ねのきものは日常から姿を消し、留袖のみ、「比翼仕立て」という形でその面影を残すようになりました。昭和四十年代にきもの専門雑誌でかつての重ね着を見直す特集が組まれました。日本独特の色重ねの魅力をアピールするのがねらいでした。その流行に目をつけた半衿専門店は、一枚のきもので重ね着の雰囲気を演出できる伊達衿なるものを売り出しました。これが伊達衿の始まりです。
|
| |
|
 |
帯留(おびどめ)
帯留が生まれたのは、明治に入ってからのことといわれています。
武家社会が崩壊し、刀装具や印寵などを作っていた工人たちが生活の糧を求めて、帯留制作にも手を染めています。日本の匠の秀れた技が、小さな帯留の上に、遺憾なく発揮されました。
目貫など、刀装具をそのままアレンジした品もありますが、金工、木彫、宝石やセルロイドなどの素材を使ったものなどいろいろとあります。
きもの姿の中心に、きらりと輝く帯留は、装いの幅を広げ、あれこれ考える酒落ごころを満たしてくれる、アイテムの一つです。
|
| |
|
 |
きものの伝説 三十三織のきもの
むかし、むかし親切で働き者の夫婦いました。不運にも三人の子を幼いうちに亡くしてしまいました。夫婦は丈夫な子を授けてほしいと観音様に祈り続けていたある日の朝、観音様のお告げの夢を二人共に見ました。それは、「三才まで病なく育った子供の布を三十三枚集め、お前たちに授かる子の着物を縫って着せるよう」というものでした。
夫婦は喜んで朝晩拝んで働き、夜星の中を丈夫なお子のある家を、布を求めて隣の村、そのまた隣の村へと訪ね歩きました。集める布は残すところ一枚となりました。夫婦はある晩歩き疲れてある村のお堂の前で眠り込んでしまいました。すると誰かがよんでいるようで目を覚ますと、不思議なことにお堂から光が射しています。こわごわ覗くとお堂の中には、幼子を抱いた慈母観音が祀られ、その足下に一枚の布が置いてありました。観音様が授けて下さったに違いないと、夫婦は嬉し涙の中でその布を頂いて帰り、やっと三十三枚の布で観音様のお守り着物を縫い、間もなく授かった子はそれを着てすくすく育ちました。観音様の三十三枚織りの着物は、子宝を願う人達によって授かった子には必ず着せようという愛知県知多半島に伝わる伝説です。
|
| |
|
 |
吉祥柄と忌み柄の話 D烏●カラス
嫌われる柄に烏がありますが、烏は忌み鳥どころか瑞鳥(めでたいことの起こる前兆とされる鳥)だともいえます。古くは神武天皇御東征の時、熊野から大和への険路を先導したのは八咫烏(やたがらす、やたのからす)であって、京都の加茂御祖神社の御祭神の化身であるのです。
八咫烏とは足が3本あリ、太陽を象徴し熊野の神の使いだとされる伝説上の鳥のことです。
また、八咫烏といえば、まず浮かんでくるのは日本サッカー協会のシンボルマークです。
|
| |
|
 |
江戸のリサイクル 大切に使われた布地
江戸時代では、絹物を扱うのが呉服屋で、木綿を扱うのが太物屋(ふとものや)でした。
呉服屋で着るものを買えるお客さんは、お武家さんと中流以上の町人でした。庶民の大半は一張羅であったために、もっぱら古着屋や行商の古着屋から買ったようです。
すべてが手作りの時代だからこそ尚一層、着物は貴重品でありました。何度となく洗い張りし、仕立て直して布地が擦り切れるほど大切に使われました。
また、着るものに使われなくなった布切を扱う竹馬小切屋(たけうまこぎれや)という肩に竹組に布切を下げて売る商売までありました。
|
| |
|
 |
「お色直し」の意味
昔も今も結婚式は人生の一大イベントです。室町時代まではかなりの時間がさかれていたようです。今では結婚式と
披露宴を一日で終わらせてしまうのですが、当時はお披露目の宴は結婚式の三々九度の行なわれた三日後に行なわ
れていたようです。結婚式には男女共に神聖を意味する白い衣装を着ることが決まりでした。何故なら、それは神の前
で誓いを立てる神聖な儀式だったからです。
しかし、お披露目の宴はまったく意味合いが違います。それは婚礼を祝うハレの場であり、その日に相応しい華やかな
衣装が用いられました。この神の前での神聖な白装束から俗世間での祝いの華やかな衣装に着替えることを「お色直し」
と言い、そこには宗教的な意味合いが強く感じられます。
余談ですが、平安時代の宮中では、出産時に立ち会う人や置かれた調度はすべて白で統一され、産後八日前後に白
小袖から色小袖へ「色直し」したと言われています。また、昔は喪の色は白とされていましたが、それは「しろ」と言うこ
とを避け、「いろ」と呼ばれたようです。このように白という色は、日本では特別な意味を持つ色とされていたのです。
|
| ページTopへ |
|
 |
江戸の七五三(しちごさん)
11月15日(近年は、日を前後しても行われている)に行われている「七五三」の行事は、子供のすこやかな成長を祝い、神に将来の加護を願うものですが、もとになった江戸時代の祝儀からはだいぶ違ってきているようです。
江戸での「七五三」は、三種の祝儀のことでした。
●三歳の時には、男女子は、それまで剃刀で剃って丸坊主にしていた頭に髪を伸ばしはじめる『髪置(かみおき)の儀式』のことで、赤ん坊から一人前の子供になったことを意味しました。●五歳の時には、武家の行事で男の子に初めて裃を着させる『袴着(はかまぎ)の儀式』のことでした。●七歳の時には、町家の行事で女の子に着物の付け紐をやめて帯で締めるようにする『帯解(おびとき)の儀式』のことでした。「帯解は男を尻にしきはじめ」という言葉もあるようです。
いずれも家内で祝ったのち、正装して産土神(うぶすながみ)つまり氏神さまに参詣しました。
このような行事からも、日本人は子供を甘やかすと西洋人に言われているようです。このことは江戸時代も同じでしたが、当時はその後の親孝行が前提としてあったのです。現在はいかに…。
|
| ページTopへ |
|
 |
被布(ひふ)
被布とは、右写真のように半コートのような外衣で、簡単にいうと着物の上に羽織る袖なしで丈の短い上着のことです。
衿肩に丸い小衿を上下の前身頃に竪衿をつけ、留め具に房のついた飾り紐がついているものです。
元々は男性用で、江戸時代末期に茶人、俳人などによって用いられていました。
それが、文政(1818〜1830)のころには女性に広がり、明治には子供までに普及していきました。
現代では七五三のシーズン時に、良く子供の着姿で見られます。
|
| ページTopへ |
|
 |
むかしからの生活の知恵
被布とは、右写真のように半コートのような外衣で、簡単にいうと着物の上に羽織る袖なしで丈の短い上着のことです。
衿肩に丸い小衿を上下の前身頃に竪衿をつけ、留め具に房のついた飾り紐がついているものです。
元々は男性用で、江戸時代末期に茶人、俳人などによって用いられていました。
それが、文政(1818〜1830)のころには女性に広がり、明治には子供までに普及していきました。
現代では七五三のシーズン時に、良く子供の着姿で見られます。
|
| ページTopへ |
|
| あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。 |
 |
今年一年は、きものにも付き物の家紋特集をします。
●家紋には魚のデザインが使われていない?
不思議なことに家紋には魚を使ったものが無いようです。日本は四方を海に囲まれ、魚とのつき合いも非常に濃いはずなのにです。
鰹(かつお)などは勝魚と言われ、武士に愛されていても家紋にはなっていません。蜻蛉(かげろう)は勝虫として、沢潟(おもだか)などは勝草として家紋になっています。
また、甲殻類の海老、蟹、サザエ、蛤などや魚を捕る網なども家紋になっています。しかし、魚の中でも鯉という漢字は家紋になっているのです。これは、魚をデザインしているのでは
ないですが…。鯉は滝を登って竜になるからと見られています。
|
| ページTopへ |
|
 |
●家紋は一家にひとつ?
家紋は一家にひとつとは限らないようです。地域によっても異なりますが、家紋には男紋、女紋があり、夫婦では紋が違います。由緒ある家ほど、家紋がひとつしかないということはおかしいようです。
昔の武士には、家を代表する家紋を定紋(じょうもん)といい、そのほかに遊びなどに用いた紋を替紋(かえもん)といいました。定紋を表紋(おもてもん)、替紋(うらもん)を裏紋ともいいます。
福井にゆかりのある武将・織田信長は、六つの家紋をつかっていました。代表的な「木瓜紋」とを初め、平家ゆかりの紋「揚羽蝶」、足利氏より賜った紋「二引両」、「五三の桐」、この世は金の世の中にちなんだ紋「永楽銭」、天皇・貴族の権威シンボル紋「傘(笠)」の六つです。
また、昨年の大河ドラマ山内一豊は、九つの家紋をつかっています。「三つ栢」「波」「白黒一文字」「大一大万大吉」「桐」「黒餅」「鎌に輪」「折烏帽子」「九枚笹」の九つです。
みなさんも替紋を調べてみてはいかがですか?
|
| ページTopへ |
|
 |
●中国に繋がりのある家紋は?
「鳳凰」紋です。鳳凰とは中国古来より王者の出現を祝福する架空の瑞鳥のことです。
鳳凰は梧桐(ごどう)という青桐の林に竹の実を食べて棲むとされています。この故事が日本に渡来して伝わり、平安時代の天皇や貴族は、衣裳に鳳凰、桐、竹といった中国文化の文様をあしらいました。
この文様が、「鳳凰」紋となり、「竹」紋となりました。また桐の木は、聖王の出現を祝う木として「桐」紋となり皇室紋となっていきました。
|
| ページTopへ |
|
| |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
着物(きもの)専門店「きもの好きどっと込む」は、「和ふくの花衣山」 と「美裳こばやし」のHPです。
お問い合わせ先 和ふくの花衣山 (有限会社 花山) E-mi : kaizan@kimono-zuki.com
〒910-0853 福井県福井市城東1丁目5-13 TEL・FAX 0776-23-1317 |
|
|
 |