着物(きもの)専門店「きもの好きどっと込む」のホームページです
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着物の柄などによく使われる三角紋は鮫の歯をかたどったものです。
古来、鮫は海の王者として畏れられ、同時に神としても崇められたことから、魔除け・厄除けの意匠として今も伝わっています。
美裳こばやしグループ きもののことなら、お気軽に当店にご相談下さい。 |
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碁盤目を経、緯打ち違えに異なった色に並べた模様で、
石畳模様、元禄模様ともよばれています。
1741年(寛保元年)上方の役者、佐野川市松が江戸中村座で「心中方年草」の小姓に扮したときに、着ようした袴に、石畳形の模様を用して大好評になったことからこの名がつけられました。
当時の市松は、三十歳ぐらいの、大変な美貌の役者で、江戸中の人気者でした。
市松模様はきものや帯、小物、アクセサリー、履物などあらゆるものに現在も広く使われています。
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紫外線から肌を守る絹
キモノ地の多くは絹が使われています。絹には独特の美しい光沢のあることは、改めていう必要もないですが、その輝きの素晴らしさは、古来、真珠と並び称されています。それには絹も真珠も共に18種類の蛋白質からなってい
るからといった、しっかりした根拠があったわけです。
しかし、哀しいかな、美しいものはうつろいやすく、傷つきやすいということも、また、否定しがたい事実です。
真珠は酸に弱く、酢に溶けます。一方、絹は紫外線にあまり強くありません。カイコのロから吐き出されて、この世に誕生したときには、真っ白の生糸ですが、紫外線にさらされるにつれて黄変しはじめ、歳月をかけて、かぎりなくベージュ色に近づいていきます。したがって、絹織物を洗濯したら、必ず陰干しにする習慣が昔からあるのはこのためです。
それでは、なぜ絹は黄変するでしょうか?それは、絹が紫外線を吸収してしまうためです。
初夏から盛夏にかけての紫外線は強烈であり、炎天下のそぞろ歩きには絹の肌着やスカーフなどで体をおおうと、紫外線防御により皮膚を守ってくれますし、整容・美容にも効果があります。絹はそのようなけなげな繊維なのです。
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東西で異なる下駄の呼称
近年はキモノを着るといっても履物は草履(ぞうり)がほとんどです。ですが日本の“はきもの”の源流は下駄なのです。
下駄は弥生時代から存在していたことが、古代の遺物によって知ることができます。この“はきもの”の呼称は、平安時代は「あしだ」、室町時代には「ぼくり」と呼ばれていました。「げた」と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからです。
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「あしだ」の言葉に「足駄」の漢字をあてたことから、「駄」の字が履物を表すようになり、下に履くから下駄となったようです。
履物には、田下駄、かんじき、わらじ、草履などがあり、地方によって履物の呼称が異なります。
すなわち「日和下駄」は、静岡以東では「ヒヨリゲタ」、静岡以西では創始者の名を借りて「リキュウ(利久)」と呼ばれ、「足駄」は、静岡
と石川を結ぶ線の東側では「アシダ」、その西側では「タカゲタ」と呼ばれいます。
このほか草履や雪駄(せった)なども地方によって呼称が異なり、日本列島を中部地方を境界にして大きく二分されています。
これは下駄づくりの工法が西の“セン”、東の“ナタ”と呼ぶ工具で、それぞれ製作過程も違うことに要因しているようです。
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革製が足袋のはじまり
足袋の歴史は古く、奈良時代になります。貴人が朝廷に出仕するときに着る正服の一具として用いた
襪(しとうず)という指先の分かれていない靴下式の礼装用と、足の保護や防寒を目的とした革製の単皮(たひ)から出発した武士や庶民が室外ではいたのが始まりです。指先が二分されるようになったのは鎌倉時代からです。
女性も古くは革製の足袋をはいており、江戸時代初期は紫に染めた鹿革の足袋が晴れの装いでありま
した。その革足袋に代わって木綿足袋が普及したのは明暦3年(1657)の江戸大火後のことです。
現在のような“こはぜ”が考案されたのは元禄時代の頃で、それまでは紐で足をくくっていました。
江戸時代には、白足袋のほか薄柿・黄・浅黄・萌黄・紺・鼠・異などの色足袋や、小紋染め足袋などもつくられ、職業や階級・趣向によって変化していました。中には、一夜足袋という紙製の脱ぎ捨て足袋もつくられ、粋好みの人の間で流行した時代もあったようです。
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帯は締めて結ぶもの
明治時代の百科辞典である「古事類苑」で、帯の項を引いてみると“日本釈名”によると「お」は緒、「び」はむすびとでてきます。
帯は本来むすぶものです。「紐は結ぶ、帯は締める」という言い回しではなく、「紐は締める、帯は結ぶ」と言うと、「締める」は、何か心がシヤキッとする想いが感じられるますが、一方、「結ぶ」は、結婚、結納、蝶結びにつながる何故か華やかな心の動きをかたちにとどめる感じを受けます。
それもそのはずです。「結ぶ」は「糸」と「吉」を組み合わせた言葉で、すべて「吉(きち)」につながるありがたい意味が含まれているからです。これに対して、「締」の方は、「糸」と「帝」を組み合わせた言葉です。「帝(みかど)」といえば国内の要所要所を締めるのが仕事であるからです。
結と締が合体すると締結という言葉ができますが、まず「締」めてからこそ、良い「結」果が生みだされるというものです。
帯も「締めて結んで」はじめて帯といえるものなのです。まず締めることにより、着物を着る人の心に結びつけ、体になじませ、次に結ぶことにより、着物を着た心のよろこびを帯結びの形で表現するものであります。
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新潟県中越地震のお見舞い申し上げます。
小千谷地方といえば、小千谷縮(おぢやちぢみ)と小千谷紬(おぢやつむぎ)の産地です。
小千谷縮とは、麻織物の一種です。新潟県小千谷地方周辺で古来より生産されている越後縮とも呼ばれる縮織です。原料の苧麻ちょま)を手でうみ、手くくりで絣糸をつくり居坐機で織り上げ、織り上がった布を湯の中につけて足で踏みします。
その後、雪の上に布を広げて漂白して仕上げます。現在では、この方法で織られている姿を見ることは少なくなりました。絣縞、無地が主で、夏きものとして着られています。昭和三十年、国の重要無形文化財に指定されました。
小千谷紬とは、絹織物の一種です。新潟県小千谷周辺で生産される紬の総称です。この地方は豪雪地帯のため、冬の農家の副業として織物は古くから盛んでありました。糸紬と絣模様は、この地方独特の技法です。
糸紬は簡単な足踏機を用い、絣模様はつき絣という方法を用います。よこ絣の特徴である柔らかく暖かみのある紬です。小千谷の近在には、このほかに六条ゆきやま紬、まきはた紬、地織り紬など多くの紬織りがあります。
現在も紬の産地として有名です。新潟県中越地方の皆様の、一日でも早い復興を祈っております。
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薩摩艦隊の標識が、日本の国旗になった?
日の丸が日本の国旗になったのは、明治時代になってからのことで、それまでは国旗といえるものではなかったようです。
江戸時代末期、日本は開国か鎖国かで、国論が二分する大騒ぎとなっていました。こうした雰囲気の中で起こったのが、1862年の生麦事件です。薩摩の島津久光一行が、行列の前を横切ったイギリス人四人に切りかかり、殺傷した事件です。
当然、イギリスは怒りました。
そうして起こったのが1863年の薩英戦争でした。イギリス戦艦の鹿児島への一斉砲撃に対して、薩摩も反撃しましたが、戦力の差はいかんもしがたく敗戦します。この時に、薩摩戦艦に付けられていた標識が、白地に赤を染め抜いた日の丸だったのです。
ヨーロッパでは戦艦の標識はすなわち国旗なので、これを見たイギリス人は、日本の国旗は日の丸だと思ったのです。
また、後に勝海舟がヨーロッパ式海軍操練所を造ったときも、その標識は日の丸だったのです。
こしたことが重なり、明治三年一月に正式に日の丸が、国旗に制定されたようです。(参考資料 おもしろ雑学日本史 三笠書房)
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江戸の一月(睦月 孟春 初春月 早緑月)
春とともに新年を迎えて、江戸では七日までが松の内といい、この間は家の掃除を行わなかったのです。それは、ほうきで幸福をはき出したりしないためです。七日までは、手足の爪を切らないのも同じ理由だそうです。
「一年の計は元旦にあり」ということわざにもあるように、元旦は心身ともに改まって屠蘇を飲み、雑煮を食べました。
新年の行事としては元旦に初詣・初日の出・三が日の年始回り、二日からは商店の新春大売り出しなどと、現在と似ています。 |
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墨流しとは、染めの技法で平安時代から続く墨汁を水面に流して、これを和紙や布に染める方法です。平安時代には色紙や短冊などの料紙に用いられていました。
桃山時代から行われている「越前墨流し」が著名で、この技法は現在でも福井県武生市にて伝承されています。
キモノに墨流しを応用したのは、明治の後半で京都の染色業者が最初で、容器に満たした水面上に墨汁や顔料を垂らし、静かに息を吹きかけると、さまざまな波紋状の模様ができ、その上に布を密着させて模様を移し取るものです。
図版は"大すみ流し"と題した昭和初期の帯(部分)で、織物の帯に用いたものとして珍しいものです。
現在では絵羽仕立ての布に連続の模様に表現したものをよく見ることが出来ます。
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高齢者にもやさしい“絹肌着派”でいこう! 高齢化社会を迎えた今日、健康な衣服を着ることは、長生きのための必須条件の一つでないでしょうか?
人間の体は61.6%が水ですから、肌着としては、綿がよりも、吸収性がよく、放出性が30%もまさっている絹の方がよいのです。絹の肌着が健康的に良いことは、学者間で実験証明されています。昭和天皇、元首相中曽根氏も"絹肌着派"だったとか。
最近は値段はともかく、電気洗濯機で洗っても、綿と全く遜色のない絹の肌着ができています。
こんような実例があります。それは寝たきり患者の床ずれ防止効果です。一般的に床ずれを防ぐには病人の体をひんばんにふいたり、寝具をいつも新しいものに取り換え、清潔さを保ってやるしか対策がないらしいのです。いったんできた床ずれは、治るどころかひどくなるばかりというのが通例のようです。それが絹の長橋祥(新品でなくて も古いものでもよい)など、やわらかい絹布を、床ずれしている場所にあてると、皮膚にできた傷も10日ほどできれいに治った例もありますし、絹の肌着を用いれば床ずれの予防にもなるようです。絹は人のやさしいのです。
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